永遠の課題「引き算のデザイン」マツダはどこまで理解しているか?
マツダにはデザインのプロも揃っているのだからタイトルは失礼千万に違ない。ご容赦を。
さてマツダ関連の記事はどれも興味深い。どうしても目に入ってしまう。記事内容はジャーナリストの主張とマツダのパブリシティ活動の合作にならざるを得ないものの、その間の綱引きも想像すればますます興味深いものになる。
引き算とか無駄のそぎ落としは工業デザイナーの基本の一つだから今さら先端デザイナーから聞いてもピンと来ない。言い換えるならこの基本的な発想は実際は永遠に達成できない課題と理解すべきだ。
マツダの人は安易に「無駄の削ぎ落し」などという物言いをすべきでないだろう。初期モデルは無駄なデザインだった?。無駄ものを買わされたと思うユーザーが出てくるかもしれない。技術屋もデザイン屋も自由に技術やデザインの話をしていて構わないが自分のワークスペースの中でやってくれ。外に出るメッセージは常に顧客を意識すべきだ。(これはイチャモン!?!)
デザインはその時その組織が持っている技術に左右されるということを忘れないように。その時点の技術を前提にベストデザインを達成したものだ。技術革新が進めば車の形も変わる。
マツダのデザイナーがその時点のベストデザインを達成できなかったから後々引き算を続けているならクレームものだろう。未熟でしたと先ず反省の弁でも垂れるがいい。
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マツダは無駄なものを売り付けたのか?
無駄を削ぎ落す。だから引き算。でも誰も無駄が何か分からない。世界観、価値観、事情の異なる多くの人が利用する工業製品に普遍的な要件を設定できる訳がない。平均的なモデル、あるいは想定したいモデルを設定できれば要件を絞り込むことは出来る。それらは決して自分ではあり得ない。しかし、共感を持つことが出来れば歩み寄ることも可能だろう。
空力デザイン、コクピットデザイン、スポーツドライブ、クルージングドライブ、安全性能デザイン、IoTデザイン(?)等を見ていくと、削ぎ落とす前に不足するものばかりではないかな。後付けで装着して何かを犠牲にしていないかな。
古いマジックワードに囚われないで本当の先進性のあるデザインを他社に先行してやって欲しいものだ。動植物の進化プロセスを理解するとマツダのデザインアプローチは完全に逆を行っているように見える。
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https://news.nifty.com/article/economy/economyall/12180-640131/
マツダの新しいブランドデザイン哲学"魂動デザイン" 15年から無駄をそぎ落とす
2018年01月03日 14時30分 NEWSポストセブン
記事まとめ
マツダは2012年から新しいブランドデザイン哲学"魂動デザイン"を展開してきた
15年から、マツダのデザイナーは「引き算のデザイン」という言葉を使うようになった
無駄をそぎ落とすことで緊張感のある形を作り上げるという手法だという
マツダ車の魂動デザイン 無駄をそぎ落とす「引き算」で進化
2018年01月03日 07時00分 NEWSポストセブン
マツダ車の魂動デザイン 無駄をそぎ落とす「引き算」で進化
昨秋の東京モーターショーで出品した「魁 CONCEPT」
電動化、コネクティビティ、自動運転など、さまざまな技術革新の荒波にもまれる自動車業界。カーシェアの台頭などでクルマのコモディティ化が一層進むのではないかという観測も出ている。
自動車メーカーがその変化に対応しながら自分のアイデンティティをどう保つのか四苦八苦するなか、そのトレンドに乗らず今日の基準で言うところの“いいクルマづくり”でひたすら押しているのがマツダだ。
「今後、いろいろな変化は起きるだろう。だが、電動化や運転の自動化の時代を迎えても、人々がより質の高い、楽しい移動を求めることは変わらないと思う。こういう時代だからこそ、ブレずにいいクルマづくりの力をひたすら磨くこと。それが自分たちが今やるべきことだと考えている」
開発系幹部の一人はこう語る。マツダも時代の変革のプレッシャーを受けていることに違いはないが、それに動揺して戦略がブレては元も子もないという考えだ。
電動化や自動運転などの先端技術で後れを取れば自動車メーカーは生き残れないという見方もあるが、年間生産台数が200万台に満たない中小規模メーカーにとっては、そのトレンドに与しないという戦術はありだ。
自動車という大衆商品においては、どんなハイテクも普及段階で必ず低価格化、普遍化が起こる。EV、ひいては自動運転車でさえも、将来的には有力な完成車メーカーや部品メーカーと手を組むことで、技術を手に入れられる時代が来るのだ。
もちろん提携相手に翻弄されないよう一定のノウハウは自前で得ておく必要はあるが、多額の資金を必要とする先端技術開発でマツダが先んじようとする必要はないというのは冷静な判断と言える。
そのマツダの“いいクルマづくり”だが、取り組みを本格化させたのは2000年代半ば。途中、リーマンショックの影響をモロに受けて4期連続赤字を計上するという苦境にも見舞われながらも、「マツダが生き残る道はこれしかない」とばかりに続けてきた。例えば、こだわりのデザインはその象徴といえるだろう。
マツダは昨秋の東京モーターショーに2つのデザインコンセプトモデルを出品した。ひとつは純粋なデザインスタディである「VISION COUPE」、もうひとつは2年後に登場するものとみられるCセグメントコンパクト「アクセラ」の次世代モデルの習作とみられる「魁 CONCEPT」。どちらもボディの外板にプレスによる折り目をつけず、曲面だけで造形感を出しているのが特徴だ。
じつは、市販車でもボディの折り目を減らす傾向はすでに出ていた。2016年に発売した北米向けの大型SUV「CX-9」、そして昨年1月に日本発売となった中型SUV「CX-5」の第2世代モデルは、いずれもボディの折り目は低コストで強度を持たせるのに必要とおぼしき最小限度にとどめられており、デザイン要素としての線はほとんど使われていない。CX-5より1クラス上の「CX-8」はプレスラインを持っているが、それとて相当に控えめだ。
マツダは2012年に発売した初代「CX-5」以降、「アテンザ」「アクセラ」「デミオ」……と、新しいブランドデザイン哲学“魂動デザイン”を展開してきた。それらは良く言えば動感にあふれているが、悪く言えば作為的で表現過多とも受け取れるところがあった。カッコはいいが、やりたいことを盛りすぎというきらいがあったのである。
ところが2015年、東京モーターショーでロータリーエンジン搭載のスポーツカーのデザインコンセプト「RX-VISION」を出したあたりから、マツダのデザイナーは「引き算のデザイン」という言葉をしばしば使うようになった。
デザインのためのデザインではなく、エンジンルームや客室など必要部分を空力的に良い形で覆い、無駄をそぎ落とすことで緊張感のある形を作り上げるという手法だ。第2世代CX-5の実物は、たしかにそういう印象を与えるところがある。
初期の鼓動デザインは、ここぞとばかりに自分たちはこれだけやれるという思いのたけをデザインに盛りまくっていたが、その溢れ出るアイデアと創作エネルギーの奥行きを冷静に見つめ直したというわけだ。
この変化は、マツダのチャレンジの経緯がにじみ出ているという点で大変興味深いものだ。マツダはリーマンショックを機にフォードグループから外れ、自活の道を歩むことを余儀なくされた。後ろ盾を失ったマツダが選んだのは、商品で秀でることでブランド価値を高めていくというものだった。
ついでに言えば、冷静になったのはデザインだけではない。クルマの性能についても、これまでのマツダ車はハンドリングのために他のファクターを少なからず犠牲にするようなところがあったのだが、現行CX-5ではその傾向が大幅に薄まった。一点豪華主義ではなく、静粛性、乗り心地などにもリソースを割く、バランス型のチューニングになったのだ。
と言って、丸くなった、つまらなくなったわけではない。ハンドリングが重要という考えをしっかり持っていさえすれば、そこを過剰に自己主張せずともそれはクルマづくりにちゃんと表れるのだということを、開発陣が肌身で感じ取ったのであろう。これも一度、やりたいように思い切りやってみたからこその成果と言える。
日本の自動車メーカーはスクラップアンドビルドの気質が色濃いためか、進化より変化を好む傾向がある。そのなかでマツダが進化らしきものを提示しはじめたことは、2017年の日本の自動車業界の動向のなかで、とりわけ興味深く感じられた。
冒頭で述べたように、クルマは今、大変革の時期にあるのは確かだ。が、百人百様のライフスタイルがある自由主義の世の中では、かりにEV、自動運転、カーシェアの時代が着ても、クルマの多様性への要求はなくならないだろう。
その基本となるいいクルマづくりの競争はこれからも続く。2018年、どのメーカーがどんな妙手を打ってくるか、楽しみなところだ。
■文/井元康一郎(自動車ジャーナリスト)
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