自動車メーカーの品質問題「空飛ぶタイヤ」の現在性
「空飛ぶタイヤ」(池井戸潤著)を読んでみた。2005年ごろに発覚した三菱自動車の品質問題を小説にしたものだ。発行は2006年ごろでドラマ化も2009年ごろにされたようだ。それを出版から凡そ10年後に読んだ訳だが、その内容の現在性に驚く。
今回発生した燃費不正問題は、この空飛ぶタイヤで取り扱った問題の時期も続けられてきたのだから、全くどうしようもない企業体質と言うことになる。
小説の結末はトップメーカーの傘下に入ることだったが、今回の燃費不正の結末も日産の資本参加を仰ぐ形になっていて、著者が未来を先取りした格好になっている。
自動車メーカ/ディーラーで働くものは改めて読み返してみることも有意義だろう。マツダは大丈夫か?そういう問題意識でこの小説を読むと別の物語に見えてくるかもしれない。
三菱自動車では品質問題を過小評価あるいは隠ぺいし、抜本的対策に着手しなかった。有耶無耶にして先送りしている間に人命が失われた。人身事故にならなければ今なお延々不正は続いていたのだろう。日産が指摘しなければ燃費不正も隠ぺいされたままだったろう。
ある種の外部的な偶然が問題発覚につながったが、軽微ならこれも内部で隠ぺいされただろう。
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マツダの「空飛ぶタイヤ」は?
ユーザーの視点でマツダの車を見てみると、隠し切れない品質問題が山積している。
営業品質は商談の過程で明らかになって中間レビューでその内容を提示できた。店長も担当営業も最低水準だ。今後のリカバリーについても楽観できない。
営業品質は、ガバナンス、マネジメント品質、教育・訓練・周知、懲戒などの側面も重要だが、何といっても個々人の力量、人間性の部分が重要な要素となるが、最も難しいのは不誠実・不手際・不適切を繰り返すことになれば、信頼関係を大きく損ね、感情的なもつれまで出て来るので、企業側のリスクは小さくない。顧客が声を出した時のリスクも大きいが、顧客が声を出さなかった時のリスクも劣らず大きいものがある。
営業品質は定量化が難しいが各社が経験とベンチマーキングからそれぞれ工夫して試行錯誤を続けている。
今回のマツダの場合、担当営業が馬鹿をやって顧客にばれるまでは僅か2か月くらい。それはそれで問題だが、さらに問題なのはマネジメントの対応。店長は最初から同罪と判断しているが少なくとも問題を突き付けられてからも具体的な対応を取っていない。エリア統括マネジャーに問題を報告しているが、そこでも具体的な対応を取らない。結局、顧客の直訴を見たトップの判断指示が無ければ、何も動けていないことになる。
顧客によっては黙って泣き寝入りして二度とマツダとは付き合わないで終わらせているだろう。その数は想像以上と知るべきだ。CSを把握するための仕組みが動いていないようだから、営業品質に対しては全く無頓着なのではないか。リピート率は把握しようとしているようだが、このような結果指標で管理するスタンス自体、時代遅れを露呈しているかも知れない。
担当営業と店長から謝罪の話があるが、これについては改めて整理したい。問題が起きた時、どちらかが一方的に悪いこともあるが、相互関係で発生するトラブルもある。この辺を正しく理解しなければ、正しい学習すらできないことになるからだ。
サービス品質は良好に見える。商品の品質が悪いので活躍の機会が多くなっているのは気の毒だ。
商品品質は最低レベル。完全な初期不良品だ。こんなものが出荷されてしまう設計製造プロセスは極めて問題だろう。
品質ポリシーが前時代のもの:
- 設計製造で作り込めない品質を現場サービスでカバーするやり方が前世紀のメーカーの発想だ。
- 押し込みで一時的な売り上げを目指す営業も古い二流メーカー時代のそのものだ。信頼によるリピートとライフ売り上げの向上を目指す発想が皆無。
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